Since1856

安政3年ー昭和39年

白老の開拓の歴史は、1856年(安政3年)に仙台藩が北方警備のための白老に陣屋を構築したことから始まったとされています。以来、多くの先人によって、厳しい自然環境の中まちづくりが進められ、1954年(昭和29年)に町政施行が開始。現在の「白老町」が誕生しました。また、この頃に大昭和製紙㈱白老工場が操業を開始し、白老が大きく発展することになります。

完成直後の役場庁舎
旧コタン「大町1丁目付近」
航空写真in大昭和製紙付近

昭和40年ー昭和59年

この年代で初めて人口が2万人を突破し、まち場は活気に満ちあふれていました。公共下水道事業の開始や高速道路の開通などの社会基盤整備が着々と進められ、住民生活が飛躍的に向上しました。さらに、どさんこ祭りや萩野神社祭典など文化・芸術などの分野の活動も活発化し、特にスポーツ分野では、1974年(昭和49年)、大昭和製紙野球部が都市対抗野球大会で全国制覇という歴史的快挙を成し遂げました。

仙台市との姉妹都市調印式in仙台市役所
第2回どさんこ祭りin白老駅前
大昭和製紙白老 都市対抗野球優勝in甲子園

昭和60年ー平成16年

勢いそのままに平成2年白老港が開港し、多くの町民がその完成を祝いました。白老港はまちの産業を支える基幹施設として整備を進められ、現在もその役目を果たしています。また、時代が昭和から平成へと移り、新たなまちづくり「協働のまちづくり」がスタートしました。「北海道にある、元気まち」をスローガンに掲げてまちを挙げて取り組み、中でも元気まち研修は他自治体から高い評価を得ました。

日本丸
越後盆踊り文化財指定祝い
町政施行50周年記念白老アイヌ民族文化祭

平成17年ー

全国的に人口減少・少子高齢化が進行するなか、白老でも1980年代にピークを迎えた人口は減少に転じ、まちの賑わいも徐々に失われていきました。そうした中、白老町に転機が訪れます。2014年(平成26年)6月、国立アイヌ民族博物館及び国立民族共生公園が白老町のポロト湖畔に整備されることが閣議決定されたのです。国や道の支援を受けながら白老の町並みは一変し、ウポポイと共に知名度が飛躍的に高まりました。

天皇陛下行幸啓
よさこいパレード
オセアヌス号歓迎
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